| ● 平成15年09月14日 |
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| 坂東第一番 大蔵山 杉本寺(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県鎌倉市二階堂903 電話 0467−22−3463 |
| 巡礼歌 たのみある しるべなりけり
杉本の ちかいはすえの 世にもかはらじ |
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| 坂東第二番 海雲山 岩殿寺(曹洞宗) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県逗子市久木5丁目7−11 電話 0468−71−2268 |
| 巡礼歌 立ちよりて 天の岩戸を
おしひらき 佛をおたのむ 身こそたのしき |
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| 坂東第三番 祇園山 安養院(浄土宗) 本尊千手観世音 |
| 神奈川県鎌倉市大町3丁目1−22 電話 0467−22−0806 |
| 巡礼歌 枯木にも はなさくちかい
田代寺 世をのぶつなの あとぞ久しき |
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| 坂東第四番 海光山 長谷寺(浄土宗) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県鎌倉市長谷3丁目11−2 電話 0467−22−6300 |
| 巡礼歌 長谷寺へ まいりて沖を
ながむれば ゆいのみぎはに たつはしらなみ |
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| 坂東第五番 飯泉山 勝福寺(古儀真言宗) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県小田原飯泉1161 電話 0465−47−3413 |
| 巡礼歌 かなわねば たすけたまえと
祈るみの 船にたからを つむはいゝずみ |
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| 坂東第六番 飯上山 長谷寺(高野山真言宗) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県厚木市飯山5605 電話 0462−41−1635 |
| 巡礼歌 飯山寺 たちそめしより
つきせぬは いりあいひヾく 松風のおと |
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| 坂東第七番 金目山 光明寺(天台宗) 本尊聖観世音 |
| 神奈川県平塚市金目896 電話 0463−58−0127 |
| 巡礼歌 なにごとも いまはかないの
観世音 二世安楽と たれかいのらん |
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| 坂東第八番 妙法山 星谷寺(真言宗大覚寺派) 本尊聖観世音 |
| 神奈川県座間市入谷3−3583 電話 0462−51−2266 |
| 巡礼歌 さはりなす まよひの雲を
ふりはらい 月もろともに おがむ星谷 |
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● 木更津を車で8時に出発。金田インターからアクアラインに入り湾岸B⇒狩場線(K3)⇒横横自動車道の朝比奈
インターを出てから峠を越え、鶴岡八幡宮手前の一番札所杉本寺に9時に着きました。初めの頃はまだアクアが
開通しておらず、金谷港からフェリーで対岸の久里浜に渡っていましたので今では1日の行程が2日掛かっており
ました。杉本寺で坂東三十三ヶ所巡礼の発願(ほつがん)を致しました。岩殿寺⇒安養院田代寺⇒長谷寺と参拝
を終え国道134号線を左手に由比ヶ浜・江ノ島を見ながら下って西湘バイパス入り国府津I.Cを出てから小田原
の五番札所勝福寺に1時頃着きました。勝福寺⇒光明寺⇒長谷寺⇒星谷寺と祈願を終えてから帰りは、東名の
町田から保土ヶ谷新道⇒狩場線(K3)⇒湾岸B⇒アクアラインと木更津に7時頃帰り着きました。 |
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| ● 平成16年01月04日 |
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| 坂東第十三番 金龍山 浅草寺(聖観音宗) 本尊聖観世音 |
| 東京都台東区浅草2丁目3−1 電話 03−842−0181 |
| 巡礼歌 ふかきとが いまよりのちは
よもあらじ つみあさくさへ まいる身なれば |
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| 坂東第十四番 瑞応山 弘明寺(真言宗高野山派) 本尊十一面観世音 |
| 神奈川県横浜市南区弘明寺町267 電話 045−711−1231 |
| 巡礼歌 ありがたや ちかいの海を
かたむけて そゝぐめぐみに さむるほのやみ |
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● 木更津を車で10時頃出発。木更津北I.Cから館山自動車道に入り、館山自動車道⇒京葉道路⇒首都高速の
駒形I.Cで降り隅田川の吾妻橋を左に渡れば十三番札所の浅草寺です。駐車場探しが大変でしたが、今は雷門
のすぐ前に地下3階の大きな駐車場が出来大変便利になりました。しばらく出店を散策し昼食をとります。食事は
何時もざるそばが習慣となってしまいました。再び駒形I.Cから首都高速に入り狩場線(K3)の花ノ木I.Cを出て
鎌倉街道を下っていくと十四番札所の弘明寺です。参拝を終え、花ノ木I.Cから狩場線(K3)⇒湾岸B⇒アクアと
木更津へ帰りました。 |
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| ● 平成16年03月20日 |
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| 坂東第十五番 白岩山 長谷寺(金峯山修験本宗) 本尊十一面観世音 |
| 群馬県群馬郡榛名町白岩448 電話 0273−43−0349 |
| 巡礼歌 だれもみな いのるこゝろは
しらいわの はつせのちかい たのもしきかな |
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| 坂東第十六番 五徳山 水沢寺(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 群馬県北群馬郡伊香保町水沢214 電話 0279−72−3619 |
| 巡礼歌 たのみくる こゝろもきよき
水澤の 深きねがいを うるぞうれしき |
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● 木更津を車で朝の6時に出発。木更津北I.Cから館山自動車道⇒東関東自動車道⇒首都高速道⇒東京外環
自動車道⇒関越自動車道の前橋I.Cで降り国道17号線を高崎方面へ。榛名方面の道路案内標識があるので
右折し約45分で十五番札所の長谷寺へ9時過ぎに着きます。次の水沢寺へは、距離で約19キロ時間で30分
から40分です。水沢寺の参拝を終えた頃から雪がちらちらと降り始めました。この時期のわすれな雪と云うので
しょうか。渋川伊香保I.Cから関越自動車道に入った頃には、かなり激しくなり、あたり一面みるみるうちに真っ白
になってしまいました。東松山I.Cで降り九番札所慈光寺に参拝予定でしたが取りやめ帰路につきましたが道々
足止めになるのではないかと心配しながらも無事に木更津に帰り着きました。 |
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| ● 平成16年05月03日 |
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| 坂東第九番 都幾山 慈光寺(天台宗) 本尊千手観世音 |
| 埼玉県比企郡都幾川村西平386 電話 0493−67−0040 |
| 巡礼歌 きくからに 大慈大悲の
慈光寺 ちかいも共に ふかきいわどの |
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| 坂東第十番 巌殿山 正法寺(真言宗智山派) 本尊千手観世音 |
| 埼玉県東松山市岩殿1229 電話 0493−34−4156 |
| 巡礼歌 のちのよの みちをひきみの
観世音 このよをともに たすけたまえや |
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| 坂東第十一番 岩殿山 安楽寺(真言宗智山派) 本尊聖観世音 |
| 埼玉県比企郡吉見町御所374 電話 0493−54−3898 |
| 巡礼歌 吉見よと あまのいわとを
おしひらき 大慈大悲の ちかいたのもし |
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| 坂東第十二番 華林山 慈恩寺(天台宗) 本尊千手観世音 |
| 埼玉県岩槻市慈恩寺139 電話 0487−94−1354 |
| 巡礼歌 慈恩寺へ 詣るわが身も
たのもしや うかぶげしまを 見るにつけても |
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| ● 平成16年08月14日 |
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| 坂東第十七番 出流山 満願寺(真言宗智山派) 本尊千手観世音 |
| 栃木県栃木市出流町288 電話 0282−31−1717 |
| 巡礼歌 古里を はるばるここに
たちいづる わがゆくすえは いづくなるらん |
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| 坂東第十八番 日光山 中禅寺(天台宗) 本尊千手観世音 |
| 栃木県日光市中禅寺歌ヶ浜2578 電話 0288−55−0013 |
| 巡礼歌 中禅寺 のぼりておがむ
みずうみの うたのはまぢに たつはしらなみ |
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| 坂東第十九番 天開山 大谷寺「天台宗) 本尊千手観世音 |
| 栃木県宇都宮市大谷1198 電話 0286−52−0128 |
| 巡礼歌 名をきくも めぐみ大谷の
観世音 みちびきたまえ しるもしらぬも |
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仁王門 |
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本 堂 |
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| 坂東第二十番 独鈷山 西明寺(真言宗豊山派) 本尊十一面観世音 |
| 栃木県芳賀郡益子町大字益子4469 電話 02857−2−2957 |
| 巡礼歌 西明寺 ちかいいをここに
尋ぬれば ついのすみかは にしとこそきけ |
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| 坂東第二十三番 佐白山 観世音寺(普門宗) 本尊千手観世音 |
| 茨城県笠間市笠間1056−1 電話 02967−2−1332 |
| 巡礼歌 夢のよに ねむりもさむる
佐白山 たえなる法や ひびく松風 |
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馬頭尊 |
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本 堂 |
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| ● 平成17年05月05日 |
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| 坂東第二十一番 八溝山 日輪寺(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 茨城県久慈郡大子町大字上野宮字真名板倉2134 電話 02957−7−0760 |
| 巡礼歌 まよう身が 今はやみぞへ
まいりきて ほとけのひかり 山もかがやく |
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本 堂
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駐車場から
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茨城・栃木・福島県にまたがる八溝山の霊場日輪寺は、千三百年前に
開山され大同3年(808)弘法大師現世浄土の大理想をもってみずから十一
面観世音の霊像を刻み本尊となし朝に祖国の隆昌と安民豊楽の護摩修行
夕べに有無両縁の冥福を祈願し茲に北関東と南奥州の大道場として信者を
広め永延3年坂東二十一番霊場となりました。徳川期に至り光圀公及び家康
公は常陸依上郡四十二ヶ村奥州白河北郷八十六ヶ村白河南部五十八ヶ村
下野那須郡二百六十ヶ村に寄符と配與し春秋二期齋供を納めつつ寺門の
維持の法をたてたのであります。明治十三年山火事のため堂塔を焼失しまし
たが霊場加護により尊佛は難を免れ大正四年四月旧観音堂跡に現日輪寺が
再建され現在に至りましたが堂舎の破損甚しく且つ狭隘であるため昭和48年
に現在のような堂宇が建設されたのであります。
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| 坂東第二十二番 妙福山 佐竹寺(真言宗豊山派) 本尊十一面観世音 |
| 茨城県常陸太田市天神林町2404 電話 02947−2−2078 |
| 巡礼歌 ひとふしに ちよをこめたる
佐竹寺 かすみがくれに みゆるむらまつ |
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仁王門 |
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本 堂 |
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寛和元年(985年)花山天皇の勅願により元密上人が開山したと伝えられ
昔鶴ヶ池の北の観音山にあったが天文十二年(1543年)十月兵火によって
焼失し同十五年佐竹義昭によってこの地に再建された。本尊は聖徳太子の作
と伝えられる十一面観世音菩薩まつられ安産・厄除けの仏様として信仰され
古くから坂東三十三番観音霊場の第二十二番札所として巡拝が絶えない古刹
である。本堂は茅葺・寄棟造りで主屋の周囲にこけら葺のもこしをめぐらし正面
中央に唐破風をあげている。正面の火頭窓や柱や組物など桃山時代建築の
先駆として豪放雄大な建築様式で注目すべき遺構をもっている。内陣は五間
四面の瓦敷で箔押の来迎柱を建て華麗な須弥壇が設けられている。
国指定重要文化財
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| 坂東第二十四番 雨引山 楽法寺(真言宗豊山派) 本尊延命観世音 |
| 茨城県真壁郡大和村本木1 電話 0296−58−5009 |
| 巡礼歌 へだてなき 誓いをたれも
仰ぐべし ほとけの道に あまびきの寺 |
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仁王門 |
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観音堂 |
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用命天皇の御代(586年)に中国梁の帰化僧の法輪独居士が開創し本尊の
延命観世音は法輪独居士と共に渡来し当山に安置され、その後弘仁年間
(810年〜823年)に修理されたと伝えられる。光明皇后は自身の安産祈願
のため法華経一巻を書き写しここに奉納したといわれ、それ以来皇室の安産
子育ての祈願所ともなり昭和三十四年十一月の浩宮御出産のときは住職が
随員と共に宮中へ参内し、お守りを奉呈している。本尊の延命観世音は安産
子育の霊験著しいといわれ、わが国でも他にはあまりみられない珍しい観世音
である。紀伊国屋文左衛門が東海道の往復の交通安全と商売繁盛を祈願し
利益が得られてより江戸からの参詣者が多くみられるようになったといわれ、
それだけに三度の火災にあいながらも、そのたびに復興し寛永七年(1630
年)当時改修したのが現在の本堂です。
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| 坂東第二十五番 筑波山 大御堂(真言宗豊山派) 本尊千手観世音 |
| 茨城県筑波郡筑波町宮脇474 電話 0298−66−0126 |
| 巡礼歌 大御堂 かねはつくばの
峯にたて かた夕ぐれに くにぞこいしき |
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大御堂 |
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鐘 楼 |
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延暦元年(782年)徳溢上人が開き千手観世音を安置し弘法大師は自ら
山嶺を極めて堂宇を建立し知足院中禅寺と号した。その後鎌倉期には僧
明玄が別当をつとめ子孫もそれをお継ぎ、応仁五年(1358年)落雷によって
御堂は焼失し後に源海上人が再興した。また江戸幕府は筑波が鬼門に当る
ところから祈願所と定めて家光は十八間四面の御堂と共に三重塔・楼門・鐘楼
等々を建立し中禅寺はおおいに繁栄したという。しかし、明治維新の廃仏毀釈
で筑波神社は残されたが七堂伽藍は破壊されて廃寺となり、その後昭和五年
に大御堂だけが再建されたのである。昭和十三年の山崩れで御堂が埋没した
ときも千手観世音は奇跡的に土砂中より出現し、かすり傷も負わなかったと
いわれる。それから二十三年後の昭和三十六年旧地に復興したのである。 |
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| 坂東第二十六番 南明山 清滝寺(真言宗豊山派) 本尊聖観世音 |
| 茨城県新治郡新治村小野1151 電話 0298−62−4576 |
| 巡礼歌 わがこころ 今より後は
にごらじな きよたきでらへ まいる身なれば |
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仁王門 |
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本 堂 |
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推古天皇15年勅願により竜ヶ峯に創建され大同年間(806〜810年)徳一
上人によって古観音に移されたと伝えられています。七堂伽藍を備えた大きな
寺は、天正年間(1573〜1592年)小田氏・佐竹氏の兵火により焼失し、江戸
時代に現在地へ再建されたと伝えられているが昭和四十四年(1969年)本堂
昭和四十八年(1973年)仮堂が火災にあい現在ある本堂は昭和五十二年(
1977年)に再建されました。江戸時代に建てられた山門が昔日の面影を残し
ています。行基菩薩が刻んだという本尊の聖観世音は素朴な尊容で衆生の悩
みをきいて下さる親しみのあるどこか庶民的なものをもたれた観世音であった。
巡礼以外の人の訪れはあまりなく、今は無住で農家の老人が交代に納経所を
つとめているという。段の近くにある石の手洗いは岩清水が筧を伝わって注い
でおり、この水音が絶えることなく霊場の命脈を保っているようだ。
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● 木更津を6時に車で出発。木更津北インターから館山自動車道に入り関東自動車道の千葉北インターで国道16
号に出て野田方面へ下る。再び、常磐自動車道に柏インターから入って水戸の次の那珂インターで出て国道118
号に出る。国道118号線を下り奥久慈の袋田の滝を通り過ぎ15キロ程行くと八溝山の道路標識が大きく出ている
のでこの交差点を左折し道なりに進むと坂東二十一番札所日輪寺に着きます。10時30分到着。
所要時間約4時間30分 距離にして約240キロ
日輪寺の参拝を終え、国道118号逆戻りして佐竹寺⇒楽法寺⇒大御堂⇒清滝寺と祈願致しました。帰りは土浦北
インターで常磐自動車道に入り木更津に7時に帰り着きました。秋に参拝されると、奥久慈の大変素晴らしい紅葉
が観られます。 |
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| ● 平成19年01月05日 |
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| 坂東第二十七番 飯沼山 円福寺(真言宗) 本尊十一面観世音 |
| 千葉県銚子市馬場町293 電話 0479−22−1741 |
| 巡礼歌 このほどは よろずのことを 飯沼に きくもならはぬ 波の音かな |
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仁王門 |
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観音堂 |
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推古天皇36年(628年)に、檜前浜成、竹成の兄弟が宮戸川で漁猟中網に
かかったのが浅草観音だと伝えられているが、この銚子観音も一世紀後の神亀
(728年)漁夫の網に拾いあげられたと伝えられ、浅草観音と草創伝説が類似
している。本尊の十一面観世音を拾いあげた漁夫・清六と長蔵は後に出家して
観清(清六)・音長(長蔵)と称ししたが弘仁年間(810〜824年)に弘法大師
が巡錫したとき、連座を作って開眼し、この地の海上長者と称する豪族が、観世音の慈悲と大師の修法力に心をうたれ、財を惜しまずに提供し、壮麗な伽藍を
建立して大師を開祖とあおいだと伝えられる。天正6年(1578年)には八間
四方の観音堂が建てられた。安政2年(1773年)には十間四方の銅葺に改築
され仁王門・鐘楼・多宝塔・太子堂などの建物が整備され、戦前まで豪壮な姿を見せていたが、太平洋戦争のためすべてを焼失したのである。昭和46年に現在の大観音堂と仁王門が再建され、境内も整備される。 |
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| 坂東第二十八番 滑河山 龍正院(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 千葉県香取郡下総町2296 電話 0476−97−0217 |
| 巡礼歌 音にきく 滑河寺の けさがふち あみころもにて すくふなりけり |
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仁王門 |
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本 堂 |
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仁明天皇の承和五年(838年)、慈覚大師が開基し、本尊は4メートルあまりの
十一面観世音だがある年の五月、気候不順のために、この地方は時ならぬ
冷害にみまわれ、真冬のような寒さが続き、農作物は大きな被害を受け、人々
は飢えて横たわるものが続出した。当時の城主・小田将治はこの悲嘆を見聞
し、天候の回復と病人の平癒を観世音に祈願し法華経を読誦したところ、結願
の日に少女があらわれ「汝の願い叶うべし」といって立ち去った。不思議に思い
あとを追って小田川の朝日ヶ淵へ行くと、河中の小舟を掉さす一老僧が衣を網
になしてひいたと思うや小さな観音像を得、これを将治に授けて立ち去った。
将治はこの像を持ち帰り、堂宇を建立して安置したところ、気候は回復し、農作物は豊作となり人心は蘇生の思いをしたという。寺より三百メートルほど離れた
ところに朝日ヶ淵があり、しだれ柳の下に「観音応現碑」がたっている。
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● 昨年は、事務所移転等々で忙しくて参拝出来ず、1年半ぶりの祈願となりました。木更津を車で10時に出発。
木更津北ICから館山自動道⇒京葉道路⇒東金道路⇒千葉東金道路の横芝ICから国道126号に出て北上す
る。円福寺に近づくにつれ風力発電の風車が彼方此方に目につくようになります。距離にして110K。所要時間
約2時間。円福寺の参拝を終え昼食にそばを食べました。国道356号を、利根川沿いに上って行くと2時間程で
滑河観音に着きます。仁王門の前に立つと、心が和らぎ落ち着いてまいります。帰りは、東関東自動車道の成田
ICから入り帰途に着きました。 |
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| ● 平成19年01月07日 |
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| 坂東第二十九番 海上山 千葉寺(真言宗豊山派) 本尊十一面観世音 |
| 千葉県千葉市千葉寺町167 電話 0472−61−3723 |
| 巡礼歌 千葉寺へ 詣る吾身も たのもしや 岸打つなみに
船ぞうかぶる |
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仁王門 |
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本 堂 |
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| 坂東第三十番 平野山 高蔵寺(真言宗豊山派) 本尊聖観世音 |
| 千葉県木更津市矢那1245 電話 0438−52−2675 |
| 巡礼歌 はるばると 登りて拝む 高倉や 富士にうつろふ
阿娑婆なるらん |
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| 坂東第三十一番 大悲山 笠森寺(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 千葉県長生郡長南町笠森302 電話 0475−46−0536 |
| 巡礼歌 日は暮るる 雨はふる野の
道すがら かかる旅路を たのむかさもり |
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仁王門 |
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本 堂 |
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| 坂東第三十二番 音羽山 清水寺(天台宗) 本尊十一面観世音 |
| 千葉県夷隅郡岬町鴨根1270 電話 0470−87−3360 |
| 巡礼歌 濁るとも 千尋の底は 澄みにけり 清水寺に
むすぶあか桶 |
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仁王門 |
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本 堂 |
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延暦の末のごろ、伝授大師が東北方面の教化を志していたとき、夢に老翁が
あらわれて暗示を受けた。後に上総の国に来て道に迷っていると、一人の木
こりから宿を提供された。しかし、夜があけると彼の姿はみられず、その庵は
神社で、鳥居には熊野権現と書いてある。驚いた大師は近くの山中を尋ねたが
そこは音羽の風景に似ている。先の老翁のことといい、木こりといい、いずれも
熊野権現の化身で、霊場を示すものと思った大師は神社のそばに庵を造り、
十一面観世音の立像を刻みはじめたが、近くから光がするので、そこを掘って
みると、金銅五十センチあまりの聖観音が出てきた。ところが、大師は、堂宇の
建立の念願もはたさず勅命によってこの地を去った。その後、慈覚大師が訪れ
て、ここの楠で千手観世音を刻み、堂宇がないので先師の庵に安置して京都
へ帰った。後に田村麻呂が堂宇を建立し、十一面観世音を奥の院へ、千手
観世音を本堂へ納めた。
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| 坂東第三十三番 補陀洛山 那古寺(真言宗智山派) 本尊千手観世音 |
| 千葉県館山市那古1125 電話 0470−27−2444 |
| 巡礼歌 補陀洛は よそにはあらじ
那古の寺 岸うつ波を 見るにつけても |
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仁王門 |
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鐘 楼 |
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元正天皇の養老元年(717年)、天皇は悩みをもたれ、行基菩薩に勅して平癒
を祈らしめた。行基菩薩は霊夢を感じ、この地を訪れ、海中より霊木を得て千手
観世音を刻んで祈願したところ天皇の悩みはたちまち平常に復した。後に慈覚
大師が訪れ、ここにとどまって練行し,正治年間(119年〜1200年)には,秀円
上人が真言密教の道場として法灯を掲げ、源頼朝、足利尊氏,里見義実などの
帰依を受けて栄えた。徳川時代にも鶴ヶ岡八幡の別当を兼ねて二百八十余石
を領した。しかし、元禄十六年の大震災により、堂塔は全潰し、幕府は、岡本
兵衛に命じて本堂を現在の地に移して工事に着手し、明和年間(1764年〜
1771年)に落成した。明治維新の変革では寺領を失ったが、寺門は維持され
大正十一年に一府二県より浄財を募り本堂の大修理は完了したものの、同
十二年の大震災で半潰し、その後檀信徒の努力で十三年には復旧し、今日に
至った。
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